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工房ハイファイブ

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2012年 05月 19日

「スポーツフィッシング」

「スポーツフィッシング」_a0244276_18153564.jpg


「倫理を介した魚釣り」

 本日は、想う所があり、
ライター雨貝健太郎さんの
2000年の連載「湖上のハスラーたち」
からの記事を転載させて頂きます。

 12年前に書かれている記事ですので、著作等での
クレームは直ぐに来ないと思うのですが、
埋もれてしまうには勿体無い記事内容でして、
今一度ココに紹介したい。
※(LINKを貼れば良いのでしょうけれど、
 BLOGって、HTMLで貼れないのね?)ワカラン笑。

「ルアーフィッシング」を
楽しまれている皆さんに、もう一度私からも問いたい。

・「何故自分はこの釣りが好きなのか?」
・「この釣りを楽しむ為に、自分に出来る事は何だろうな?」
・「係わり続けるのなら、どんな道徳が必要だろうな?」

 などなど色々と、見つめ直す良い機会に成ればナァと思います。 

工房ハイファイブ 笠井




転載開始⇒

ほぼ日刊イトイ新聞
http://www.1101.com/bass/index.html


第4回
「バス害魚論」僕なりの考え方(2)


 徹底した自然保護政策で知られる合衆国の、
ましてや野生動物保護局
(Department of Wildlife Conservation)が
どうして本来の生息域ではない地域に
バスを放流したのでしょうか。
理由は2つあります。

まず第1の理由。
それは、アメリカ合州国
(だけでなく、欧米と言っていいでしょう)には、
建国の時代から釣りをレクリエーションのひとつとして
楽しむ習慣があったと言う事です。

 話はちょっと横道に反れますが、所謂
「スポーツフィッシング(sport fishing)」
または「ゲームフィッシング(game fishing)」の定義は、
正に”コレ”なのです。

 コレとはつまり、本来「漁の手段」である筈の、
「釣り」という行為を、
レクリエーションとして楽しむ習慣。
(或いは、それが「ひとつの文化」として形を成した物。)
それこそが「スポーツフィッシング」であり、
「ゲームフィッシング」です。

決して新しいものでも無ければ、
気取ったものでも有りません。

 「バス害魚論」報道の背景には、
「ゲームフィッシング」、「スポーツフィッシング」の
意味が誤って伝えられている事も、
関係している様に思えます。

 日本のクオリティーペーパーと言われる大新聞にまで、
「ゲームフィッシング」は、
「ゲーム感覚に似た釣り」などと誤った定義が
平然と書かれていましたし、
「スポーツフィッシング」に至っては、
「釣りは、スポーツでは無い!」と言う声を
あちらこちらで耳にします。
(釣りがいわゆる「スポーツ」で無いのは当たり前。)

 厄介なのは、実際に釣りをしている人々の中にも、
「ゲームフィッシング」・「スポーツフィッシング」の
本当の意味を理解していない人が多く、
釣り専門誌等でさえ、時に誤った使い方が
されて居るという事です。

 良い機会なので、「ゲームフィッシング」・
「スポーツフィッシング」とは何か?
について、簡単に触れてみましょう。

 まず最初に明らかにしなければ成らないのは、
誤解の元になっている「ゲーム(game)」や
「スポーツ(sport)」の意味です。

 例えば、「ゲーム」という言葉。
この単語は現在、「遊技」或いは、
「コンピューターゲーム」の意として
使われる事が多いと思います。

 しかし、「ゲームフィッシング」の「ゲーム」は、
決して「遊技」では無いのですし、
ましてや「コンピューターゲームに似ているから」
でも有りません。

「ゲームフィッシング」の「ゲーム」は、
この単語が本来備えていた、より古い意味、
すなわち「競技」と言う意味なのです。

 元々「競技」の意として使われていた
「ゲーム」という言葉が、
「遊技」の意味を持つ様になった背景には、
遊技性に富む様々な競技が、時代と共に
登場して来たと言う事実があります。

その結果、
現代では「ゲーム」=「遊技」に成ってしまった。

 でも、「ゲームフィッシング」で言う所の
「ゲーム」は、今でも「競技」なんです。
 言うなれば「ゲームフィッシング」は、
「競技する釣り」です。

 では一体、誰と「競技」するのか。
その相手こそが「魚」であり「自然」なんです。
つまり「魚対人の競技」。
それが「ゲームフィッシング」です。

 そして、どんな競技にもルールが在るように、
「ゲームフィッシング」にもルールが有ります。
 但し「ゲームフィッシング」における
「ルール」と言うのは、明確な決まりでは無くて、
むしろ「倫理」と言うべきものです。

 例えば、
水面近くを悠然と泳いでいる魚が見えたとします。
この魚を、単に「捕獲する」ことが目的ならば、
網を投げれば良いのですが、
それはフェアでは無いのですよね。
 「捕獲」は出来るけれども、「競技」には成らない。
それは「漁」であって、「ゲーム」では無いわけです。

 そこで「釣りバリ」と「糸」を使ってみる。
でも、ただハリと糸を使っただけで、
見えている魚を故意にハリに引っ掛けて釣り上げても、
それは魚との「競技」に勝った事には成らない。
 何故なら、魚を故意に「釣りバリに引っ掛ける」と言う手段が、
「倫理」を欠いた、非道な行為だからです。

 つまり、魚と人との間に「ゲーム(競技)」を成立させる
唯一絶対のものが、「倫理」なんです。

 そして、この「倫理」にあたる言葉が、
実は「スポーツ(sport)」*です。

*「スポーツ(sport)」とは本来、
「ゲーム」に措いて、絶対に守らなければ成らない、
「暗黙の倫理」を意味する言葉でした。

 その名残は今でも、
「スポーツマンシップ」という言葉に伺えます。

ですから、「スポーツフィッシング」という言葉を
強いて和訳するなら、「倫理を介した魚釣り」となり、
「ゲームフィッシング(魚と競技する釣り)」と
極めて近い意味に成るわけです。

「ゲームフィッシング」と「スポーツフィッシング」は、
ひとつの事柄を、別の側面から捉えた
同意語とも言えるのですね。

 因みに、現在「スポーツ」という言葉が、
より一般的に成っている「(肉体的な)運動」
と言う意味で使われ始めたのは、もっとずっと後の事です。

 スキーや水泳などの様な「運動」と言う意味での
「スポーツ」と言う事であれば、釣りはもちろん、
「スポーツ」では有りません。
 釣りにおける「スポーツ性」とは、
肉体的な「運動」を言っているのでは無くて、
「精神面での自主的な規律」を指している訳ですから。


 ゲームフィッシング、スポーツフィッシングの
代表とされる「ルアーフィッシング」や、
「フライフィッシング」が、日本の伝統的な釣りと比べても、
(例えば「ヘラブナ釣り」など)*
「肉体的な運動」要素を備えている事は、
確かに事実ですが、それは単なる偶然に過ぎません。

 スポーツフィッシングの言葉の意味を考えた時、
「ルアーのキャスティングは難しいし体力も必要。」
 「やっぱりバスフィッシングはスポーツだよな。」
 何て言うのは、やはりナンセンスなんですね。


 実際に釣りをしている人達までが
スポーツフィッシング(ゲームフィッシング)に対して、
こうした誤った考え方を持ち続ければ、
この釣りが本来備えている輝きは、やがて見過ごされ、
「漁との違い」がどこに有るのかさえ、
曖昧になってしまうでしょう。

フィッシングライター 雨貝健太郎
2000-06-05-WED



(転載終了。)

 人に対しても、公共・環境・未来に対しても、
自主的な「規律と倫理」「思いやり」が大切だよねと思います。
 そう言う心を、私達は「スポーツ」から学ぶのではないかな?

 カサイ 

by high-five-info | 2012-05-19 18:17 | 工房日記


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