2012年 07月 25日

下地の加工中につき②

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「ブログ更新」を忘れそうに成っていた。

 私は「神社巡り」が好きである。

 「祈るだけなら誰でも出来る。」
最近(偉いリーダー)さんの、そんな発言も聞こえたが、「そんな奴ぁ~喝!」
*あなたぁは、「平和に対しての祈り」が足らな過ぎやしませんか?

 私は思うのです。
『平和への祈願』その心が、「社会秩序を保つ」何よりの基で或ると!



*(「尖閣が日本国領」である事の、弱い主張。)国政に対して、怒っているのでしょうけれども、
(都のリーダーとして)大人として、発信する言葉が余りに下品過ぎて、怒りを覚えてしまう。ガァーーーー!
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 日本人は、ずっと古来から祈って来たではないですか。
「初詣・節句・厄除・安全・豊穣・平和祈願・儀礼と感謝、報告」諸々と。 

 確かに、「神頼み」だけでは行けませんよ、実行力が必要です。
しかし、「神様」・「仏様」に祈りを捧げる事は、取り立てて言わずとも、
信仰の有無を問わずに、人にとって、とても大切な行為で心ですよね。

 「ご先祖様」を偲び、歴史を勉強してこそ、
自分の成り立ちを探り、その片鱗でも伺い知る事が出来る。
 自分を理解する事で、自分にも相手にも、正しく、「思いやり」を持つ事が出来て、
初めて自国と相手国に対して、「国益を伴う外交」と言う、大きな仕事が成り立つのだろう。

 だから、互いの(心や、ふるさと)を考えない、大切にしない問題解決方法なんて、
私には、どうかしちゃってると思えるのです。教育上も宜しくない。


 

 *「日本人よ、武力衝突(戦争)を覚悟しろ!」 何て言われるのならば、
それも逆に、ただの「平和呆け」ではないだろうか。 
それとも「平和に飽きてしまった人」なのか!

 但し、荒治療的にも、国境に対して危機感を問題提起し続けている、
その姿勢や行動力は、確かに凄いなと思ってしまいます。



■下地は続くよどこまでも。 カサイ








■「天才は1%のひらめきと99%の汗」/と言う有名な発言がある。
(Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration.)

 これは「インスピレイション」(ひらめき、霊感)と「パースピレイション」(発汗作用)が脚韻で、
「パーセント」(百分率)と「パースピレイション」(発汗作用)が頭韻になった洒落であるのだが、
『努力の重要性を物語る発言』として、人口に膾炙している。

 しかし、(トーマス・エジソン)本人が、後年語ったところによると、
「取材した若い記者は、私の言葉を聞いて落胆したのか、それとも大衆受けを狙ったのか。」
「努力の美徳を強調するニュアンスに、勝手に書き換えて発表してしまった。」
と言うものであった。

 実際は「1%の閃きがなければ99%の努力は無駄である。」との発言だった。
言い換えれば、「1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならない。」と言う事である。

 『トーマス・エジソン』は、自身を自然界のメッセージを受け取る「受信機」
に例えるほど、「閃き」を重視していた。

トーマス・エジソン - Wikipedia



■何で今、「エジソンの名言を貼り付けさせて頂いたのか」っと言えば、
 発明でも仕事でも、「活動」・「行動」には、先ず「目的地」を定める事が重要と言う訳。

 発明ならば「1%の閃き」が重要。
 旅ならば、やはり「目的地」や、「旅の目的」を先に考えるよね。
旅先が決まれば後は、車だろうが、新幹線だろうが、船だろうが、
飛行機だろうが、ロケットだろうが、どんな手段で移動をしてもいい。
(「傷心旅行」などと時々、行く先を定めずに、放浪したい事も有るけれども・・・。)


 
 勉強ならば「専門分野を絞ったり、興味を絞ったり。」
或るいは、「学習の仕方」を勉強したり、
(所謂、辞書の引き方を覚えると言うやつだ。)
「志望」を決めたり、「将来の人生設計*」を立てたりする。
*どの様な仕事がしたいのか。それから、
 どの様な人に成りたいのか。 そんな事を考えると、
勉強の目的には、先ず「夢」や、「希望」が必要なのかも知れません。

 
 「ここで魚釣りを楽しみたいから、私はここに住む。」
そんなん目的も、もちろん有るのだろう。
その為の「人生設計」を立てて見た私。
 「ちょっと失敗気味かもね。」は、ご愛嬌。
 しかし、その目的が有ってこそ、随分と器用に成長できた箇所もあり、
そして、出会えた人も居る。


 では、社会の「始まり」と、「目的」とは何だろう。
きっと、『1部の人の利益(ゲーム)』でも、『経済成長(ゲーム)』でもなくて、
「安心して生活のできるコミュニティーづくり」が、それの筈です。
 
 人も動物も、争う事はするけれども、
その争いは、「自分達のコミュニティーを守る」為であって、
 『平和祈願』(と言う「点の基」)、まず最初の部分に、
その「心」が無ければ、「社会は目的地の在る方向には進まない」
と言う事だと思うよね。
人で或るならば、「相手コミュニティーと尊重し合う」事も出来る筈。
 決して、「譲り合う事だけが美徳」 とは言い難いけれども。


 ※個人としては、食べて行く為の、最小限の利益は必要だけれども、
「環境や人」、そして「家族」あっての私だから、
私の生活も、社会とバランス(和・輪)して居たいな。
そんな風な事を思います。
*(最近、「歳取ったね」と言われる私であった。)





2012.07/30追記
則社長に捧げます。
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by high-five-info | 2012-07-25 02:48 | 工房日記


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